東京グランドトレイル160km
2025年
ジェームス・マリオン
雷鳴と泥濘の中で:
東京グランドトレイル2025参戦記
概要
大会名: 東京グランドトレイル2025(第3回)
開催日: 2025年5月30日〜6月1日
場所: 東京都・奥多摩
参加者数: 約450名
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200km部門:25名出走(完走率44%)
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100マイル部門:183名出走(完走率44.8%)
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110km部門:91名出走(完走率49.4%)
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60km部門(悪天候により約11kmへ短縮):179名出走(完走率97.7%)
前回大会: 2024年5月24日〜5月26日
Race Photos
雷と泥の中で:東京グランドトレイル2025 100マイル挑戦記
2025年(第3回)東京グランドトレイル100マイル部門に参加した私の個人的な体験を紹介する前に、この大会をご存じない方のために、まずは少し背景をご説明したいと思います。
東京グランドトレイル誕生の背景
この大会が立ち上がった経緯については、運営チームが過去にこう語っています:
日本で開催される100マイルレースの多くは、東京から遠く離れた場所で行われ、アクセスには多くの時間と費用がかかります。制限時間も非常に厳しく、完走できるのは一部のエリートランナーに限られます。また、ポール使用が禁止されていたり、日頃トレーニングしているような馴染みのあるトレイルでは行われなかったりもします。
それなら――自分たちが暮らし、走っている場所で、本格的な100マイルレースを開催すればいいんじゃないか?
そんな想いから東京グランドトレイルは誕生しました。
この大会の核にあるのは、「挑戦の大きさはそのままに、参加へのハードルを下げること」です。
東京グランドトレイルの特徴
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東京で開催される本格的な100マイル・マウンテンレース
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累積標高は10,000m超
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制限時間は48時間と比較的余裕があり、幅広いランナーが参加可能
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金曜16:00スタート:東京近郊のランナーは当日昼に出発し、午後に受付を済ませ、その日のうちにスタート可能。北海道や九州など遠方からの参加も現実的。
この大会は、大手スポンサーによる運営ではなく、トレイルランニングを愛する人たちによる手作りの大会です。そのため、温かみのある個人運営の良さがある一方、時にはそれゆえの厳しさも感じることもあります。
レースの進化:100マイルから複数カテゴリーの大会へ
東京グランドトレイルは、2023年に100マイル部門のみでスタートしました。
翌年の2024年には60km部門が新設され、そして2025年大会ではさらに拡大し、途中で100マイルから降格可能な110km部門と、招待制の200km部門が追加されました。なお、この200km部門は2026年以降、一般ランナーにも開放される可能性があるそうです。
標高と制限時間のインパクト
東京開催とはいえ、標高は決してあなどれません。各距離における累積標高は以下の通りです:
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200km:+13,110m / -12,949m
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160km(100マイル):+10,400m / -10,400m
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110km:+7,789m / -7,789m
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60km:+3,760m / -3,760m
各部門の制限時間は以下の通り設定されています:
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200km:55時間
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160km:48時間
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110km:36時間
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60km:20時間
これだけを見ると、「制限時間は比較的ゆるいのでは?」と思うかもしれません。
しかし、実際に100マイル部門を走ってみて感じたのは、この大会の2つの特徴により、決して甘くはないということです:
1. セルフナビゲーション方式
この大会のコースには、基本的にマーキングがありません。
GPSウォッチやスマートフォン、または事前のルート知識を使って自分でルートを確認しながら進む必要があります。
これは、精神的にも負荷がかかり、ナビゲーションのミスによってロスが生まれる可能性もあり、その分も見越して計画を立てなければなりません。
2. 前半に集中する厳しい関門設定
序盤のエイドステーションにおける関門時間がかなり厳しく設定されています。
つまり、まだ体力があるうちにある程度ハイペースで進まなければならず、今年のように序盤から悪天候やトレイルのコンディションが悪い場合は、より厳しく感じることになります。
このような条件が重なることで、たとえ制限時間に余裕があるように見えても、完走は決して簡単ではないのが東京グランドトレイルの特徴です。
設計からして過酷――そしてその評判も折り紙付き
日本のトレイルランニング界において、東京グランドトレイル(通称TGT)は、その距離に関係なく「日本でも屈指の過酷なレース」として知られています。
昨年は60km部門、今年は100マイル部門に出場して、私もようやくその理由を身をもって理解することができました。
マーキングなし――セルフナビゲーションの難しさ
TGTの過酷さの最大の要因のひとつは、コースに一切マーキングがないという点です。
それぞれの区間を事前に走って頭に叩き込んでいるか、常にGPSウォッチやスマートフォンを確認しながら進まないと、すぐにルートを外れてしまいます。
とはいえ、どんなに準備をしても完全にミスなく進むのは不可能に近いです。プロであろうがアマチュアであろうが、少しずつコースを外れては戻る…それが積み重なって、気づけば予定より数キロ多く走っていたり、累積標高が増えていたりします。
もうひとつの罠:午後4時スタート
200km部門を除いて、全カテゴリーのスタートは午後4時に設定されています。一見、遠方からの参加者にも優しいように見えますが、実際には大きなハードルになります。
会場近くに住んでいるか、日中にホテルで仮眠できる環境がない限り、すでにある程度の疲れを抱えた状態でこの大冒険に挑むことになるのです。
例えば私の場合、レース当日の金曜日は朝6時に2人の子どもと一緒に起床。もともとは学校の運動会に参加予定でしたが、雨で中止に。その後、約3時間かけて電車で奥多摩へ移動。途中で少し仮眠はとれましたが、とても「万全の状態」とは言えませんでした。
(ちなみに、この“雨”はこの先の物語でも繰り返し登場します…)
エイドステーションの間隔も容赦なし
100マイル(160km)部門には、全部で7箇所のエイドステーションがありますが、その間隔が非常に広いのもTGTの特徴です。
最初のエイド(A1)はなんと27km地点。しかも、その時点ですでに2000m以上の累積標高を超えています。
そこから次のエイド(A2)まではさらに約43km、累積標高も2000m近く増え、最初のドロップバッグが受け取れる地点でもあります。
公式のエイドは2箇所しかないとはいえ、道中には自販機やコンビニが点在しており、これらが実質的な“非公式エイド”となる場面も多々あります。
過酷さの掛け算
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マーキングなし
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午後スタート
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エイドの間隔が広い
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序盤の関門が厳しい
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そして、登り下りの連続
こうしたすべてが重なり、TGTは「ただ長い」だけでなく、スタートからゴールまで一切気を抜けない、容赦のないレースとなっています。
そして、私自身の挑戦へ
このような背景を踏まえ、今年のレースがどのように展開したのか、私自身の視点から振り返っていきたいと思います。
常連読者の皆さん、ご存じかもしれませんが、TGT2025は私にとって初めての100マイルレースでした。
コロナ禍をきっかけにランニングを始め、これまで10km〜100km超のレースを十数本走ってきました。
とはいえ、仕事と育児の関係で、なかなか山に通う時間は取れません。それでも、私の心はやっぱり山や自然の中にあります。
「自分にとって本当にやりたいことは何だろう?」
「結果がどうなるか分からないからこそ、挑戦する価値があるのでは?」
そう感じた私は、60kmや110kmではなく、あえて100マイルを選びました。
山に最後に入ったのは、半年前のFTR秩父・奥武蔵50km。その前は、昨年のTGT60km。
十分とは言えない山のトレーニング量ですが、コンディションは良く、大きなケガもなかったので、「やれるだけやってみよう」と覚悟を決めました。
私がウルトラトレイルに惹かれる理由のひとつは、「未知への扉を開ける」感覚です。
完走できるか分からない。最後まで動き続けられるかも分からない。
でも、だからこそ挑戦したい。
その思いの背中を押してくれたのが、ウルトラ界のレジェンド、コートニー・ドウォルター選手の言葉です。
“Any time we're given the opportunity to try something difficult or crazy, we should absolutely take it.”
「難しいことやクレイジーなことに挑戦する機会があるなら、迷わずやってみるべきだ。」
彼女が語ったのは、西部100、ハードロック、UTMBという世界トップクラスの3レースを、わずか2ヶ月で制した時の話ですが、
私にとってのTGT100マイルも、それと同じくらいクレイジーで難しい挑戦に思えました。
だから、挑むことに決めたのです。
クレイジーな挑戦に向けての準備
私が今まで参加してきたウルトラレースと同様、TGTの100マイルコースも、全体を一度に考えるのではなく、12の区間に分けて計画を立てました。
それぞれの区間は、エイドステーションやコンビニ、コース上のチェックポイントなど、「立ち止まってリセットできる場所」を基準にしています。
もし完走できたとしても、所要時間は40時間以上、たぶん43〜44時間、もしくはそれ以上かかるだろうと見込んでいました。
過去最長のレースでも約26時間だった私にとって、「40時間以上」「2晩にまたがる」レースは、まさに未知の領域。
「正気の沙汰じゃない」と思いつつも、これまで完走したのはエリートランナーだけではないと知っていたので、挑戦してみようと思いました。
仮眠とカフェイン戦略
そんな中で、事前に出した結論のひとつが「少しでもいいから仮眠を取る必要がある」ということでした。
私は事前に、2カ所のポイントで30〜40分の仮眠を取る予定を組み、それをレース全体の想定時間に含めていました。
また、カフェインの摂取についても計画を立て、仮眠後や2日目以降の厳しい区間で集中して摂ることにしました。
特にレース初日〜1晩目まではカフェインを摂らないという方針にして、最初のドロップバッグ地点でもある土曜朝のA2(70km地点)での仮眠後に初めてカフェインを摂るという流れを考えていました。
限られたコース経験と、心の武器たち
コースの事前経験は限られていましたが、昨年TGTの60km部門に出たことで、160kmコースの中でも特にハードな**最初の7km(900m登り)とラスト25km(1500m登り)**の2区間は、ある程度分かっていました。
また、青梅高水トレイルや御岳トレイル、成木の森トレイルなど、東京近郊のローカルレースにもいくつか出ていたため、コースの一部に「見覚えがある」箇所がありました。
専用の試走ではないにせよ、多少の助けにはなるはずだと考えていました。
そして何よりの武器が、新しく購入したGPS搭載スマートウォッチ。
これを頼りに、区間ごとのプランニングと強い意志の力で何とか乗り切れるのではと期待していました。
スタート地点へ
私が住んでいる千葉県北部から、スタート会場である奥多摩・都立とけはら総合運動公園までは、電車で約3時間。
武蔵野線から中央線・青梅線を乗り継いで、奥多摩駅へ。
都心からなら2時間弱で行ける場所にあります。
午後2時過ぎに到着すると、すでに100マイルと110kmの参加者たちがチェックインを済ませていました(60km部門は翌日スタート)。
受付もスムーズで、私は荷物の最終調整をし、軽く食事をとってリラックスしようとしました。
ドロップバッグの現実
エイドステーション2(70km)と6(134km)で受け取れるドロップバッグは、予想より小さめ。
事前にサイズはメールで案内されていたので、完全に私の確認不足です。
予備のシューズを入れるのは諦め、おやつ、ドリンク、防寒具、その他必須アイテムを可能な限り詰め込む形に。
ベストな内容とは言えませんでしたが、「これで行くしかない」と気持ちを切り替えました。
スタート直前
荷物の準備が終わり、ザックを背負って時計を見ると、15時30分。
私は第1ウェーブ(15時50分スタート)に割り当てられていたので、もうすぐ出発の時間。
いよいよという気持ちとともに、スタート地点に立てていること、そしてこれからついに始まることに、ただただ感謝の気持ちでいっぱいでした。
そして、あっという間にスタート。
昨年の60km部門と同じスタートルート――馴染みのある舗装路を、約300人のランナーたちと一緒に進みます。
今年は1日早く、そしてより長い旅路へと向かって。
静かに高まる緊張感の中、序盤のロード区間で少し気持ちを落ち着けながら、私の東京グランドトレイル2025が、いよいよ幕を開けました。
水、水、どこもかしこも
冒頭でも触れましたが、今年の東京グランドトレイルは天候が大きな問題となりました。
私がコース上にいた間、天候はずっと雨、霧、ぬかるみ、冷気、滑りやすい路面といった厳しい状況が続きました。
特に土曜の午後には、雷を伴う激しい雷雨が襲来。あらかじめ雨予報は出ていましたが、ここまで降り続けるとは、多くの人が想定していなかったと思います。
主催者の判断と影響
こうした状況を受けて、主催者は参加者の安全を第一に、難しい判断を迫られました。
たとえば、スタートのわずか数時間前に60kmの部門が約11kmへと大幅に短縮されることが決定。
また、「雷がおさまらなければ、ロングの部門も短縮や中止になるのでは」という噂も流れました。
結果的には続行されましたが、私を含め複数のランナーが雷の影響でエイドステーションに足止めされる場面もありました。
雨を受け入れるしかない
おそらく、多くのランナーにとって大雨や水たまりだらけのコースでのレースは好ましいものではないでしょう。
私自身も晴れて暑いコンディションの方が得意で、そのつもりで準備もしてきました。
でも、数日前から天気予報を見ているうちに、「今回はもう濡れるしかない」と覚悟を決めました。
レース初日(金曜)の予報は、気温12〜18℃、そして一日中、雨。
まったく想定していなかった条件でしたが、それでも「止めよう」とは思いませんでした。
トレイルに出られる機会は私にとってとても貴重で、どんな天候でも、自然の中を動けること自体が幸せに感じられるからです。
広大で野性味ある自然の中にいると、私はいつも、自然や「いまこの瞬間」、そして自分自身との深い繋がりを感じます。
ウルトラトレイルは感情のジェットコースターのようなもので、今回も例外ではありませんでした。
泥、嵐、想定外の事態――すべてが重なっても、私はそこにいられること、身体が動くこと、心を試されること、そのすべてに感謝していました。
雨の中を走る
スタート時点では小雨でしたが、問題なく対応できる範囲。
最初のセグメントは約7kmと短めながら、900m以上の登りがあり、いきなり本番モード。
アドレナリンも出ていて、雰囲気はまだ明るく、周囲の空気感も高揚していました。
数キロは舗装路と軽めのトレイルでしたが、その後はほとんどのランナーがポールを取り出し、本格的な山道へ突入。
すでに路面はぬかるみ始めていましたが、まだ深刻な状況ではありませんでした。
去年の60kmで走ったこの最初の区間よりは、少しペースが落ちていたものの、それほど気にしていませんでした。
ただ、次の区間こそが本番。7km地点から27km地点のエイドまでの区間は、今回のレースの中でも最難関のひとつと見ていた場所です。
登りはもちろんキツかったですが、問題は下りでした。
このセクションでは約1,700mの下りがあり、路面がどんどん滑りやすくなっていく中で、一歩一歩が慎重にならざるを得ない状況に。
まだ序盤でしたが、すでに太ももの前側(クアッド)に負担が出始めているのを感じていました。
正直、良いサインではありません。そこでペースを落とし、ポールを使って姿勢を安定させながら、効率よく進むことに集中しました。
予定していたペースからは遅れ始めていましたが、まずは御岳駅付近にある最初の大きなエイド(27km地点)に到達することを目指していました。
そして、私を引っ張ってくれた最大のモチベーションが、「エイドステーション1で食べられるカレーライス」でした。
広島に拠点を置くスポンサー企業、Inner Factが提供するこのカレーは、過去の大会でも**「伝説の味」として話題になっていた**一品。
私自身もまだ食べたことがなかったので、「ぜひ自分でも味わってみたい!」という思いが、冷えた体と重い足を前に進めるエネルギーになりました。
遅めの夕食、でも待った甲斐あり
ようやく最初のエイド(27km地点)に到着したのは夜の11時直前。レース開始からすでに約7時間が経過していました。
思っていたようなペースでは動けていませんでしたが、それでも止まらずに進めていたこと自体に価値があると自分に言い聞かせました。
待望のInner Fact特製カレーライスは、評判通りの逸品でした。
日本風のカレーライスに豆が加わり、絶妙なスパイスの風味が身体を内側から温めてくれます。辛さは程よく、胃にも優しい。この瞬間の自分にとって、まさに理想的な一皿でした。
もちろん、ボトルの補給やスマホの充電など、やらなければならないことは色々ありましたが、それでも数分間はこの温かな瞬間を大切に味わいました。
雨は相変わらず降り続いていましたが、ほんの一時でも、心と体が落ち着いたことに感謝しました。
到着は予定よりも遅れたものの、まだ関門までは約2時間の余裕がありました。これは大きな安心材料でした。
おかわりをしようかとも思いましたが、まだ後ろにたくさんのランナーが控えていることを考え、ぐっと我慢。
カレーの温もりを胸に、再び前へと進みました。
この時点で時刻はほぼ深夜。疲労もかなり溜まってきていましたが、**事前に立てた「初日はカフェインを摂らない計画」**を守り続けていました。
ただし、明らかに動きは鈍っており、次の本格的なエイド(第2エイド)まではまだ40km以上、いくつもの山を越えなければなりません。
この区間で頼れるのは、約45km地点と58km地点にある2つのコンビニのみ。
まずは最初のコンビニを目指して、夜の山道をひたすら前進しました。
夜が明ける頃(ファミマからセブンまでの旅)
この次の区間から、本格的に辛さが増してきました。
当初の予定では、登りはハイキング、下りと平地は走るつもりでしたが、現実はその逆。ほとんどの場面で歩くことしかできなくなっていました。
登り自体はそこまで苦しくはなかったものの、全体的に体が重く、ペースも上がらず。
しかも路面は引き続き悪く、一人で走っているときには特に、ルートミスを避けるために神経を集中させる必要がありました。
そして、ようやく夜明け前、約45km地点のファミリーマートに到着。
強烈な眠気に襲われながらも、「ここではまだカフェインは我慢する」と自分に言い聞かせていました。
登山で体が温まっていたため、判断ミスをしてしまいました。
本当はカップラーメンを買うつもりだったのに、なぜかアイスキャンディーと水を選んでしまったのです。
店先で座った瞬間、間違いに気づきました。
動きを止めたことで一気に寒さと湿気が体を包み込み、体温が下がっていくのを感じました。
思考も鈍っており、結局、食べかけのアイスをゴミ箱に捨て、水を補給してその場を後にしました。
この時点で、起きてからすでに24時間近く経過。
カフェインもまだ摂っておらず、時間も余裕もどんどん失われていき、自信も揺らぎ始めていました。
「次のコンビニ(58km地点のセブンイレブン)では必ず挽回する」と決意。
約13kmと600mの登りを越えて、日の出町のセブンイレブンを目指しました。
到着した頃には、夜は明けていました。
空は相変わらず曇天で雨も続いていましたが、完全な暗闇ではなくなっていました。
ここでついに、カフェイン解禁。
予定よりも進みが遅く、第2エイドで仮眠を取る時間がなさそうだったため、ここで何かを変える必要がありました。
私が選んだのは、お気に入りのTULLY'Sブラックコーヒーと卵サンドイッチ。
ザックには行動食もありましたが、セブンの朝食メニューには敵いません。
店の前で、同じくボロボロになった他のTGTランナーたちと雨の中、朝食を囲みました。
体も服も泥まみれでしたが、心はまだ折れていませんでした。
胃にしっかりとした食事が入り、カフェインが体に染み渡ると、ほんの小さな光が心に灯りました。
新しい一日が始まった。
太陽は見えないけれど、雲の向こうに確かに存在している。
次の本格的なエイドステーション(第2エイド)までは、残り約12km。
その先に、ようやくドロップバッグと少しの休息が待っている。
壊れたテクノロジー、濡れたテクノロジー
ここからは、自分で区切っていた全12セクションのうちのセクション5、
「日の出セブンイレブンから第2エイド(数馬・十里木)まで」の区間に突入しました。
状況は決して楽ではなかったものの、ここで一度立て直すことを目標にしていました。
仮眠こそ取れなくなったものの、濡れた衣類を着替えたり、デバイスを充電したり、温かい食事を摂って再出発するつもりでした。
睡眠なしでは無理だと分かっていたので、気持ちを切り替え、
「87km地点の第3エイド(上野原)まで到達できれば、後半の関門時間はもっと余裕があり、そこで仮眠も取れるかもしれない」
と考えるようになりました。
しかし、ここで小さなトラブルが発生。
この数ヶ月使っていた新しいGPSウォッチが、ここまでのナビゲーションではとても役立っていたのですが、
突然バッテリー残量警告が出て、ほどなくして完全に電源が落ちてしまったのです。
メーカーは「GPSモードで40時間以上使用可能」と謳っていましたが、実際はまだ15時間ほど。
おそらく地図画面を頻繁に表示し、コース確認に頼りすぎたせいでしょう。
「第2エイドまではもつだろう」と油断して、充電ケーブルをランニング装備に入れていなかったのが致命的でした。
スマホにはコースデータを入れていたので、ナビ自体は続けられるはずでした。
しかし、この日の朝からの大雨により、状況は一気に悪化。
コース確認のためスマホを取り出そうとしても、雨がひどくて濡れた画面がほとんど反応しない。
木の下で雨を避けながら操作しても、なかなかうまくいかず、進行ペースはどんどん遅れていきました。
そして、心もだんだんと折れかけていきました。
幸運にも、同じく苦しんでいた数人のランナーと合流できたことで、
その区間は彼らと一緒に進むことができました。
脚のダメージはひどい状態でしたが、走れるところは走り、
ナビにもスピードにも自信ありげな2人の少し後ろを保ちながらついていきました。
もちろん、去年のTGT60kmで痛感した通り、他人のナビに完全に頼るのは危険。
一人のミスで全員が道を外れる可能性があるため、私は定期的にスマホを取り出して位置確認もしていました。
残り7kmほどの区間は、**「ペースを保ちながら、視界内に仲間を捉え、時折自分でもナビを確認する」**という綱渡りのような戦いでした。
やがて、トレイルを抜けて秋川沿いのロードに出たとき、ほっとした安堵感に包まれました。
ようやく第2エイド(十里木)に到着。
しかしその安堵も束の間、雨脚はさらに強まり、雷鳴も近づいてきたのが聞こえました。
私が第2エイドに入ったとき、体は冷え切り、衣類はずぶ濡れ、疲労困憊。
それでも、「まだレースは半分も終わっていない」と気を引き締めました。
荒天と苦渋の決断
椅子に座ってまずはドロップバッグを取り出し、状況の整理を始めました。
温かいミネストローネスープを一杯もらい、濡れた服の一部を着替え。
ただし、靴下までは替えませんでした——どうせ外に出ればすぐまた濡れてしまうからです。
エイドステーションの外ではバケツをひっくり返したような豪雨。
ボランティアの方々も、テント内への浸水を必死に防ごうとしていました。
私はGPSウォッチを少しだけ充電できましたが、ここで二つ目の問題が発生。
完全に電源が落ちたことで、現在のアクティビティが消えてしまい、途中から再開ができなくなったのです。
コース地図は再読み込みできたものの、ウォッチの現在地認識がおかしい。
ウォッチは今、自分を「第6エイドにいる」と認識しており、第3エイド(上野原)までのルートを全てスキップして、ゴールへ導こうとしていました。
(※実際、第2エイドと第6エイドは同じ会場を使用しているため、この勘違いも無理はないのですが……)
このままでは正しいルートを辿れない。
スマホは雨でまともに操作できない。
「詰んだかもしれない」と焦りがよぎりました。
そんな中、ダメ元で110km部門のコースデータをウォッチに読み込んでみると、これが功を奏しました。
ウォッチは正確な現在地を把握し、マップも正しく表示されました。
スープとパンをもう一口かじりながら、どうするべきかを冷静に考えました。
時間がどんどん過ぎていく。
このままでは第3エイドに間に合わない。すぐに出発しなければ。
残りは約18km、標高差1,200m以上のアップダウンが待ち構えています。
そこで、もうひとつの問題が襲ってきました——雷雨によるレース一時中断です。
近隣での落雷の影響により、運営からの指示で、選手は安全のためエイドステーションで待機するよう通達が出ていました。
出発許可が下りていないため、誰も外に出られない状態。
テントの外を覗いてみて、思いました。
「もしこれがレースじゃなかったら、こんな天気の中で外に出る気には到底なれない」
けれど、これはレース。
**「ここまで来たのだから、まだ終わらせたくない」**という思いが勝りました。
私は立ち上がり、ウォッチを確認し、スタッフに伝えました。
「110km部門へ切り替えて、先へ進みます」。
これにより、オリジナルの100マイルコースよりも約45km短縮され、累積標高も2,400m減ります。
本来挑戦したかったコースではない。
正直、悔しさはありました。
それでも、先に進む現実的な選択肢はこれしかないと判断しました。
ナビは復活し、装備も補給し直し、体はボロボロでも、気持ちはまだ前を向いていました。
しかし――
嵐はまだ終わっておらず、スタッフからの出発許可は依然として出ていませんでした
A2への帰還 —— あるいは終わりの始まり
ようやくエイドステーションを出る許可が下りたとき、外のコンディションはほんの少しだけマシになっていた。
私は約20km、累積標高1,000mのループに向けて出発した。
110km部門に移った私たちにとっては、このループを終えることで再びA2(十里木)に戻り、そこから最後のセグメントへと進むことになる。
午後が迫る中、わずかに残っていた「仮眠できるかも」という希望は消えた。
代わりにもう一度カフェインを摂り、舗装路を踏みしめながら再び山の中へ。
トレイルに戻るのは実際、少し気持ちよかった。
でも、まだ道のりは長い。
最初の登りは、まさに消耗戦だった。
7kmで約700mの登り。斜度もきつかった。
それでも驚いたことに、登りに対してはまだ脚がそこそこ動いていた。
この時点で、私はレーススタートから24時間近くが経過しており、
起きてからは33時間ほど経っていた。
もう走ることはできなかったが、一定のペースでハイキングしているつもりだった。
でも——
その「一定のペース」こそが、この後の命取りになる。
私は100マイルコースのためにかなりの時間をかけて準備してきた。
セグメントごとの標高、関門時間、難所の把握など、頭に叩き込んでいた。
だから、110kmに切り替えたことで**「少し余裕ができるだろう」と無意識に思い込んでいた**。
けれども、それが大きな勘違いだったと気づくのは、もっとずっと後のことだった。
登りが終わると、当然のように下りがやってくる。
今回はいくつかに分かれていて、やや緩やかだった。
入山峠を通り、今熊神社の近くを抜ける。
見覚えのあるトレイルがいくつか出てきた。
過去のレースで使ったことがあるのか?
それとも、丸一日近く動き続けているせいで、すべてが混ざって見えてきているだけか——
そして、初めてのことが起きた。
幻覚だ。
完全に幻を見るというわけではなかったが、自分を惑わせるには十分だった。
木々、茂み、トレイルの看板——それらが人の影や、森の中に現れた奇妙なキャラクターのように見えてしまう。
日が傾き、2日目の夕方に差し掛かる頃、
そんな錯覚が頻繁に起きるようになった。
近づくと、それがただの木や草だったとわかるんだけど、
毎回、自分の頭が信じられなくなる感覚だった。
最初は、ただ奇妙なだけだった。
でも、ある瞬間——茂みの中から唸り声のような音を聞いたとき——
それはさすがに堪えた。
そのとき、私は一人だった。
すでに擦り切れていた神経が完全にざわついた。
私はできる限りペースを上げて、前方にいた数人のランナーグループに追いついた。
彼らは全員100マイル部門のランナーだったが、関門に間に合わず、非公式に110kmに切り替えた仲間たちだった。
この時点で、私は確信していた。
もう一人で進むのは無理だ。
少なくともこのセグメントの残りは、
精神的にも、身体的にも、誰かと一緒の方が安全だった。
ナビ用のGPSウォッチはまだ動いていたが、
このグループのほうがトレイルに精通しているようだった。
正直、自分の判断力はすでに怪しくなっていた。
私は彼らと会話しながら、後ろについていくことにした。
目的地は同じ——再び十里木のエイドステーションへ。
そしてその先、フィニッシュを目指す最後の旅路へ
そして、終わりへ
110km部門の関門時間については、正直あまり把握できていなかった。
でも、一緒に走っていた仲間たちはちゃんと把握していた。
午後8時までにエイドステーションに戻らなければならない。
このループは約20km/累積標高約1,000m、
残された時間はおよそ7時間ちょっと。
ふつうなら「十分だろう」と思ったかもしれない。
でも、このレースに**「ふつう」なんて感覚はもうとうに失われていた**。
終わりのない雨、深い泥、難しい自己ナビゲーション、
限界に近づく大腿四頭筋、
そして…森の中の木々が漫画のキャラクターに見える状態。
そんな中での関門時間——急にシビアなものに思えてきた。
トレイル区間の終わりが近づくころ、あたりは完全に闇に包まれていた。
ヘッドライトを装着し、時刻は午後7時を過ぎた。
このあたりのトレイルは比較的シンプルだったので、
私たちのグループは自然とばらけ始めた。
私は集中していた。
焦ってはいなかったが、確実にプレッシャーを感じていた。
今の脚の状態で、ぬかるんだ急な下りを攻めるなんて無理だとわかっていたし、
足元のコンディションも予測不能だった。
一度でも大きく転べば、レースどころか、今後のトレーニングにまで影響が出るかもしれない。
それでも、私は完走したかった。
意味のあるものにしたかった。
秋川の外れに出て、トレイルが舗装路に切り替わった瞬間、
アドレナリンが一気に噴き出した。
脚が思い出した。「舗装路を走る感覚」を。
ここは見覚えのある景色。
身体が反応した。私はスピードを上げた。
さっきまで一緒に走っていたランナーたちを抜いていく。
彼らは、関門を逃すことをどこか受け入れているような表情で歩いていた。
短く言葉を交わし、私はそのまま前へ。
時計を見る。
ギリギリかもしれない。
舗装された道を全力で走る。
けれども、再び短い未舗装区間に誘導された。
1kmほどのトレイル。
その先には、再び2kmの舗装路が待っているはずだった。
ぬかるみと泥に足を踏み入れたその瞬間、悟った。
終わったな、と。
ペースが落ちる。
勢いが消える。
どれだけ強く前へ進もうとしても、
もう、時計の針には勝てなかった。
それでも——
私は止まらなかった。
歩を止めず、前へ、前へと進んだ。
これから、どこへ向かうのか
エイドステーションに戻ったのは午後8時半を少し過ぎた頃だった。
スタッフにゼッケンを確認され、
「あなたのレースはここで終了です」と告げられた。
どこか、ホッとしたような気持ちもあった。
でも同時に、ぽっかりと穴が開いたような感覚も。
これまで一度も**DNF(途中棄権)**をしたことがなかった。
なんとも言えない感情。
打ちのめされたわけじゃないけど、慣れない感じだった。
最終関門までは、まだ8時間近く残っていた。
「もしあのループをもう少し早く抜けていたら…」
そんな思いが一瞬よぎったけど、
すぐにその考えを手放した。
今さら悔やんでも仕方ない。
その15分後、
さっきまで一緒にトレイルを進んでいた仲間たちが、
ひとり、またひとりとエイドに到着した。
疲れ切って、泥だらけだったけど、
みんなそれぞれのやり方で、前に進んでいた。
外は相変わらず小雨と冷たい風。
私は温かいミネストローネスープをもう2杯と、お茶漬けをいただいた。
敗北の味が、こんなにも沁みるとは思わなかった。
自分の荷物は、まだスタート会場に置いたままだった。
この夜、千葉県北部の自宅に帰るのは到底無理だとわかっていた。
できるとすれば、スタート地点に戻って荷物を回収し、翌朝始発を待つこと。
それが現実的な最善の選択だった。
幸いにも、エイドステーションには同じ考えのランナーが10人ほどいた。
スタッフの方が、近くのバス停から最終のローカルバスがまもなく出発すると教えてくれた。
そのバスに乗れば、武蔵五日市駅へ行ける。
そこから奥多摩方面行きの最終電車に乗り、
少し歩けばスタート地点の会場へ戻れる。
それで決まりだった。
ぬれた椅子の上で一晩を過ごすより、
2時間の乗り継ぎ旅の末に、横になれる場所にたどり着く方がいい。
会場に戻ってきたのは土曜日の深夜0時前。
静かだったが、完全に無人というわけではなかった。
小さなスタッフチームと、数名のボランティアが残っていて、
110kmや100マイルのフィニッシャーたちを温かく迎えていた。
自分の荷物を受け取り、
会場の片隅に設置された暖房付きのテントに案内された。
中にはマットとブランケットがあり、
私はすぐに泥まみれの衣類を脱ぎ捨て、ブランケットにくるまり、横になった。
そしてついに——
レースが始まった金曜日の午後3時50分以来、ようやく、
最初の仮眠をとることができた。
明け方の朝に
日曜日の早朝、午前4時半頃。
空がうっすらと明るくなり始めたころ、
私のスマホのアラームが静かに震え始めた。
あの暖かいテントの中には、
マットの上で眠る十数人のランナーたちがいた。
外では大会スタッフがすでに活動を始めていて、
小さな声で話しながら、また新しい1日を迎えようとしていた。
私はゆっくりと立ち上がった。
体は痛んでいたけれど、4時間ほどの本物の睡眠をとったおかげで、気分はすっきりしていた。
荷物をまとめ、感謝の言葉と別れの挨拶をして、
奥多摩駅へ向けて、ゆっくりと現実の世界へ歩き出した。
ただし、東京グランドトレイルはまだ終わっていなかった。
大会全体の最終関門は日曜の午後4時。
私が会場を離れる頃にも、
200km部門のランナーたちが、まだゴールを目指して進み続けていた。
その200km部門で、最初にフィニッシュした3人のランナーたちは揃ってゴールし、
記録は45時間24分。
この部門には25人が出走し、完走したのは11人。
最後の2人は、制限時間55時間を1時間切るかどうかというギリギリのタイミングで、
54時間12分でフィニッシュした。
自分の28時間の旅路もなかなかのものだったと思っていたけれど、
それに比べたら、2日半近く山を走り続けた人たちの経験は、まさに異次元だったに違いない。
来年もこの200kmコースが正式採用されるかどうかはまだわからない。
でも、されても不思議じゃないと思う。
日本でもこれほど過酷なレースコースはなかなか存在しない。
もしこれを読んでいるあなたが、
その挑戦をしてみようと思っているなら——
幸運を祈ります。きっとそれが必要になるでしょう。
そして、東京グランドの看板種目である100マイル部門。
今年は完走率もタイムも、昨年と比べて全体的に低かった。
あのコンディションでは、ある意味当然だろう。
それでも、勝者である清田幸希選手は
30時間48分という素晴らしいタイムでフィニッシュ。
女子トップは徳本純子選手。
スポンサードアスリートでありながらも、
総合**5位(33時間22分)**という堂々たる走りだった。
本当に見事なパフォーマンスだった。
私が後半にスイッチした新設の110km部門では、
プロトレイルランナーの三浦祐一選手が
19時間36分で優勝。
女子トップはウルトラ経験豊富な鈴木裕子選手。
彼女も100マイルからドロップダウンしての参加だったが、
それでも総合**6位(27時間52分)**でフィニッシュした。
そして、前に触れた60kmレースについても少しだけ。
安全上の理由から約11kmに短縮されたとのことだったが、
聞くところによると、それでもなかなか登りの多いコースだったらしい。
優勝者は黒川照信選手(スポンサー付きアスリート)で、
タイムは1時間17分。驚異的だ。
女子トップは江田本佳奈子選手。
彼女もスポンサー選手で、
総合**11位(1時間29分)**という素晴らしい結果を残している。
最後に
ここまで読んでくれてありがとうございます。
この長くて超ロングなレースレポートの最後に、
自分自身への振り返りと、
東京グランドトレイルに挑戦してみたいと思っている方へのメッセージを少しだけ残しておきたいと思います。
最初はこのセクションを
「良かったこと・悪かったこと・ひどかったこと」(The Good, The Bad, and The Ugly)
にしようと思っていました。
でも改めて振り返ると、
「悪いこと」や「ひどいこと」なんて、ほとんどなかったように感じます。
人生と同じで、結局は見方次第なんですよね。
たしかに天候は最悪だったし、
レースは過酷で、
結果的に自分にとって初めてのDNFになりました。
それでも学ぶことが多く、
初めての経験もあり、
自然の中で深い静けさと安らぎを感じる瞬間もありました。
レース中に気持ちが沈んだとき、
私はいつもこう自分に言い聞かせています。
「これは自分で選んだことだ」
これは**自ら望んだ“苦しみ”**であって、
人生が時に投げかけてくる本当の痛み――
大切な人を失うことや、
誰かが苦しんでいる姿を見守ることとは違う。
どんなに辛くても、トレイルレースは特権なんです。
健康であること、トレーニングできること、
冒険を求められること、
そして素晴らしい仲間たちと出会えることへの祝福なのです。
で、東京グランドトレイルを人に勧めるか?
答えは、**もちろん「イエス」**です。
……ただし、いくつかの注意点はあります。
100マイル(そして200km)部門は、極限のチャレンジです。
どんなに調子が良くても、多くの人が完走できません。
それでも、これは本当に素晴らしい体験です。
「楽しい」という意味だけではなく、
時に畏敬の念を抱くような――
人々の力、自然の厳しさ、そして挑戦そのものに心を打たれる瞬間があるのです。
印象に残ったこと
人とエイド
ボランティアの皆さん、スタッフ、そして他のランナーたち――本当に素晴らしかったです。
この草の根レースは、彼らなしでは成立しません。
(自分が立ち寄れた)2つのエイドステーションはまさにオアシス。
そして インナーファクトのカレー、あれはそのためだけに何十kmも走る価値があると思える味でした。
トレイル
厳しくて、容赦なくて、でも本当に美しい。
東京から数時間で、こんな広大で奥深い自然の中に入れること自体が贈り物のように感じました。
胃腸
驚いたことに、ほとんど不調なし。
ペースがゆっくりだったのと、ショウガのサプリのおかげかもしれません。
これまでで最もスムーズに走れたレースのひとつです。
足
雨と泥にずっと晒されていたにも関わらず、一切のマメなし。
スポンサーであるGurney Goo(ガーニーグー)の効果だと思います。
今後のレースでも間違いなく使い続けます。まだ使ったことがない方、ぜひ一度試してみてください。
メンタル
トレーニング不足だと分かっていても、心は一度も折れなかった。
もし制限時間内であれば、どこまでも行くつもりでした。
学んだこと
山に特化したトレーニングの必要性
階段やロードでは、山での筋肉ダメージは再現できません。
このレースを本気で完走したいなら、
より山での走行距離を積む必要があります。できれば練習レースも取り入れたい。
柔軟なペーシングとカフェイン戦略
序盤で遅れを感じたら、もっと早い段階でカフェインを投入するなど、
柔軟な判断が必要だと痛感しました。
その分、余裕があるセクションでしっかり仮眠を取る、などの工夫も必要です。
ナビとバッテリー管理の甘さ
「デバイスは持つだろう」という甘い見通しが失敗でした。
自己ナビゲーションが求められるこのレースでは、
テクノロジー=命綱です。
どんなに過剰でも、準備しすぎるくらいでちょうどいい。
ゲイターの重要性
靴の中にゴミが入って、何度も立ち止まって取り除く羽目に。
こういったコンディションでは、ゲイターがあれば
時間もエネルギーも大きく節約できたはずです。
擦れ(チャーフィング)
人生で一番ひどかったです…詳細は割愛しますが、
ずっと濡れた服と、合ってないギアのせいで苦痛でした。
次のレース前には、装備を一から見直します。
シューズの選択
今回は、グリップ力のある履き慣れたシューズを選びました。
よりクッション性のある新しい靴もあったのですが、滑るのが怖くて見送りました。
結果としてトレイルで滑ることはなかったけど、
その代償として脚のダメージは大きかったかもしれません。
もしかしたらクワッド(大腿四頭筋)の故障はこの選択が影響していたのかも。
それでも、また走るか?
うん。
でも、もしまたこのレースに挑むならもっと準備してからにします。
このレースは初心者向けじゃありません。
初めてのウルトラ、初めての山岳レースとしてはおすすめできない。
強いナビゲーション力、装備の知識、山での経験が問われます。
でも、すでに多くのレースを走ってきて、
自分をもう一段階追い込みたい人、謙虚さを取り戻したい人には、
これ以上のテストはそうそうないと思います。
このコースには独特の誠実さがあります。
快適さを容赦なく奪い、
自分の弱さと正面から向き合うことを強いる。
肉体的にも、精神的にも。
表彰台を狙う人も、ギリギリの制限時間内完走を目指す人も、
この「東京グランドトレイル」は必ず何かを教えてくれる。
自分が「欲しかったもの」は得られないかもしれないけど、
「必要だったもの」はちゃんと与えてくれる。
そんな不思議な力を持ったレースです。
そして今、すべてが終わった今も――
やっぱり、また戻りたいと思っている自分がいます。
それこそが、本当にいいレースの証なんだと思います。
楽しかったからじゃなく、心に残ってるから。
そしてまた、もっと強く・賢く・しなやかになって戻りたいと思えるから。